即興ホラー
即興ホラー
概要

お題の単語をもらって即興で書いたオリジナルのホラーです。
下に行くほど、後味の悪い話となっています。

星屑

 お盆を過ぎて、少し遅れて長期の夏季休暇を取った。どうしても保守要因が必要ということで、お盆の期間はフルに出勤する羽目になってしまったからだ。
 久しぶりに帰省した故郷は、変わらず田舎で、そこに少しばかり安心した。
 両親は孫の顔が見たいと繰り返し告げるのが少しばかり苦痛ではあったが、それでも俺が顔を見せると嬉しそうにする。まだ孫は見せてやれないが、こうして帰るだけでも喜んでくれるのは嬉しいことだ。
 ただまあ、俺ももういい年。燃費の悪いアメ車だった頃はもう過ぎて、今はコンパクトカーなんだ。山盛りの唐揚げは食べきれないし、丼飯を毎食腹に詰めた日はもうはるか昔。今じゃ牛丼の大盛りだってきついってのに。
 でも、両親の手前、そんな姿は見せられない。少しばかり無理をして、腹に詰め込み、胃薬でごまかして笑ってみせる。そうするとオカンもオヤジも嬉しそうにするから。
 はちきれそうな腹がやっと落ち着き、このままじっとしているにも座りが悪く、俺は少し散歩に出かけることにした。
 お盆の期間が過ぎたせいか、あたりには虫の声がやかましい。田舎の夜が静かだなんて言うのはどこのどいつだといつも思う。都心の静かな夜になれた今となってはうるさすぎて寝れやしない。だからいつもちょっと寝不足なくらいで来る。そうしてオカンとオヤジの出来ない天井の補修や、天袋の入れ替えなんかを手伝って体を酷使すれば、やかましい虫の大合唱の中でも爆睡できるってわけだ。
 さて、今年もまたそんな感じでいろいろと手伝い、最後のダメ押しと夜の田舎道を歩く。もちろんヤブ蚊がとんでもないので体中に虫除けスプレーをしている。これでも食われることがあるんだから田舎の虫の生命力には恐れ入る。
 しばらく歩くと、ガキのころによく遊んだ空き地に出る。ここで夏の間はひたすら虫取り網を構えて走り回ってたっけな。夏休みを思い出すと懐かしさが胸を満たす。
 ここは昔から遊び場として人が踏み荒らしたせいか、雑草が根強く、樹木の類は育たないのだそうだ。そのせいでここからは空がよく見える。電灯も少なく、少し小高い場所。そこから見れば、数多の星がきらめいているのが見える。本当に星明りだけで世界が照らされているのではないかと勘違いするほど、薄暗いとはいえあたりを照らしているのがよく分かる。
 そうして空を見上げていると、流れ星が天球を伝う。願い事を考えるまもなく、水の上に細い枝ですっと線を引いたかのように一瞬だけ明るい色が見えた。
 そしてその直後、天からきらびやかに、美しく、たくさんの流れ星が落ちる。流星群など見たこともなかったけれど、この光景がそうなのだろうと思うくらい、途切れることなく、こちらに向けて、次から次へと絶えることなく光の線が乱舞する。
 色が落ちてくる。
 視界を埋め尽くし、体の疲れも、歩いたことによる汗ばむ感じも、やかましい虫の音も、足裏に伝わる雑草の感触も、すべてが消え、すべてが流れていく。

 ふと気づけば、俺は空き地で呆然と立ち尽くしていた。うるさいくらいの鳴き声、かすかに漂う草いきれ、足元に感じる乾いた土の感触。
 それは空き地が記憶し続けた星屑のリプレイなのかもしれない。久しぶりに帰ってきた俺に、ちょっとばかりサービスしてくれたのだろうか。ありがとな、と誰に言うでもなく口からこぼれた言葉は、虫のさざめきの中に消えていった。

隙間風

 冬場には困る隙間風も、夏にはありがたい涼になる。
 日本家屋は避暑の能力が高く、保温の能力は低いとか、そんな話を聞いたことがある。
 冬にはこたつから出られなくなる原因でもあり、どこに隙間があるのかと目張りして回った日もあったが、結局どこをどれだけ封じても隙間風が止むことはなかった。あちこちにティッシュを貼り付けて位置を特定しようとしたものの、どれだけ調べても結局どこから風が吹き込むのかは分からなかった。
 だけど、暑い日に畳に敷いた煎餅布団で寝苦しさにうだるような日には少しばかり良い気分になる。体温でベタつくように感じる布の感触が、その瞬間だけはさらりとしたものに感じるのだから不思議なものだ。
 どこから吹いているのかもわからない隙間風には、ときおり匂いがすることがある。それもこの周辺で感じるはずがないような不思議なものだ。キンモクセイのような強く香るものでなく、本当にかすかに、だけどはっきりと、匂いが風に乗って伝ってくることがある。
 昨夜、うとうととまどろんでいたとき、ふわりと夢見心地に感じたのは、水の匂いだった。
 水は無臭だが、雨上がりの瞬間や、滝の周辺のような、例えることの難しい、かすかな水の芳香。それがゆらゆらと夢の中にまで漂ってきているのを、夢うつつながら感じていた。

 そうしてまどろむうちに、壮大な水の都を俯瞰していた。
 広い石畳で出来た町並み、重厚な家々。その間を、縦横無尽に水路が走っており、透明で清らかな水がゆっくりと流れている。いくつもかかる石橋は質素だが美しいアーチを描いており、そして水路に一切の柵もないにもかかわらず、危険性をまるで感じなかった。
 わずかに青みがかった水路の底もまた石畳で出来ており、そこには一切の汚れもよどみもなく、ただただ美しく透明な水が流れている。住民はみな白く美しい布を体に巻き付けており、古代の都市を見ているのか、そこには人を追い立てる時間という概念が存在していなかった。土埃すら立たない完全に調和した街の人々は明朗快活で、橋の上で、石畳に座って足を浸しながら、静かに語らいを続けている。柔らかな日差しがきらりと水底に反射し、穏やかな時間がゆっくりと、本当にゆっくりと過ぎていく。

 すっと香りが引いていくと同時に、目がさめる。今まで見ていた幻は、あの秀麗な町並みは、いったいなんだったのだろうか。水の匂いは、あの町を通ってきた風が、時間も空間も超えてここにたどり着いたのだろうか。
 目がさめてからもう時計の針が一回り以上もしたが、夢のように感覚が薄くなっていく感じがない。それどころか、時間が経てば経つほど、あの町並みの感じが強く焼き付けられるようだ。
 隙間風は幻想を運ぶことがあるようだ。もう一度、時間から開放され水がまどろむあの町を覗き見れないものだろうかと待っているが、残念ながら今日は風がない。

ガングリオン

 手首に巨大なタコが出来た。いや、タコと言っていいのかわからないが、タコとしか言いようがなかった。右手首が膨れ固くなり、ノートを取るときに気になって仕方がない。病名としてはガングリオンと言うらしい。名前はともかく、その手首の膨らみのせいで、僕が文章を書くと、文字から文字へと移動するときに妙に上下にずれてしまう。凸凹したラインを友人に見せたときには、怖い、ホラーゲームの文章だなどと散々からかわれた。
 僕は筆記でノートを取るのをやめた。幸いにも大学は電子機器の持ち込みを禁止することもなかったため、板書をすべてデジカメで取り、画像から文字を認識させてテキストに起こせば、今まで手で書いていたのはなんだったのかと思うほど楽になった。
 そうして僕は文字を書くことをやめ、電子機器に頼った生活をするようになった。
 とは言っても、どうしても文字を書かなければならない場合も多々ある。役所の書類は自筆が基本だし、板書されない内容を取りたいなら書くしかない。記述の回数自体が減ったのは良いのだが、文字の上下のブレは少しずつ大きくなっており、1文字分以上もずれることも多々あった。
 やがて文字を書くことがコンプレックスになり、僕は人前で文字を書くことはなくなった。ありがたいことに電子機器の全盛期、会社でも支給されたキーボードつきのタブレットPCがあれば、会議でも打ち合わせでもそれを持って出て、議事録もキーボードで作ればよい状態であったのは僕にとって追い風だった。名字が漢字1文字であることも幸いし、僕のコンプレックスがバレることはなかった。
 しかし、時には魔が差してしまうこともある。
 久しぶりにあった友人とべろんべろんに酔っ払ったとき、僕は何を思ったのかあの上下に乱れる筆記の様子を公開してしまったのだ。はじめはゲラゲラ笑っていた友人が、音楽関係者だったのは運命だったのかもしれない。
 それを五線譜に書き起こそう、という話になり、メロディが出来上がる。友人はそれを見ながら小難しい顔をしたかと思うと、出来上がったものを弾いてくれた。酔っ払って音を外しつつも、キーボードで演奏されたそのメロディは、偶然とは思えないほど美しかった。
 そして友人はそのメロディを知っていた。
 ヴェルディのレクイエム。その最終楽章。
 僕はいつからレクイエムを奏でていたのだろう。僕はなぜ手を止められないのだろう。このレクイエムは、誰のために奏でられているのだろう。僕の手は、いつまでこうして文章を綴っているのだろう。ああ、そうか、僕のための、僕が弾くレクイエムなんだ。これが終わるとき、僕の命は、

屋根裏

 祖父母から受け継いだ一軒家に、私は1人で住んでいる。贅沢だと言われればそうかもしれないが、実際のところ掃除が面倒だし、部屋が沢山あっても結局は寝室とリビング、ドレッサールームがあれば十分だ。ほとんどの部屋は持て余している。
 まだ祖父母が健在だったころ、屋根裏に潜む幽霊、そんな幻想を抱いていた日もあった。
 祖父母が両方とも亡くなり、掃除に換気に衣替えにと幾度となく出入りするようになれば、屋根裏を恐れることすら難しくなってしまう。忘れ去られた人形も祖父母から伝わるいわく付きの物品もない。そんな状況で怖いと思えるはずがない。
 だから小さな足音が聞こえても、即座にそれがネズミだと看破してしまうほどには、期待はまったくなかった。
 夜中に入っても、そこが異世界だったことはないし、恐ろしい顔をした着物姿の女性がいたこともない。
 寝室が途方もなく怖いなんてことがないように、屋根裏を怖いと思うこともなかった。

 夏も終わりに近づき、そろそろ秋物を手前に出しておこうと思ったのは、すっかり夜も更けた頃だ。何分思いついたら行動しないとすっきりしない性分のため、屋根裏の小さな明かりをつけて、ホコリを払って秋物を詰めたダンボールを2つほど手前に出しておく。そろそろ扇風機をしまうスペースも作っておかなければならないと思い立つと、それもまたやってしまいたくなった。
 2階と屋根裏を繋ぐはしごのような階段を降りて、厚手のペーパータオルを持ってくる。外は静まり返り、今日は蒸し暑い熱帯夜となりそうだった。そよとも風が吹かず、寝苦しい夜を考えるとげんなりした。2F廊下の電気と屋根裏の小さな電気をつけ、一通り作業を終えると、少しばかり汗がにじむほどだった。
 屋根裏で軽く伸びをし、寝る前にシャワーでも浴びようと、振り返って足元のはしごを確認する。
 目が合った。
 下から覗くものがそこにはいた。
 廊下を埋め尽くすほど巨大な灰色の体に、いびつに歪んで右の頭部が異様に膨らんだ相貌。顔を書いた風船を膨らませたようだと言うのが硬直したときの率直な感想だ。
 それが何かに気づいた瞬間、私は悟った。
 屋根裏にそんなに何度も出入りする必要はない。無意識に、屋根裏へと逃げていたんだ。
 だってほら、こんな巨体じゃ、この狭い入り口は通り抜けられない。

欠損子の日常

 腕がなかったんだ。生まれ落ちて以来、両肩から先がない。
 僕がまだ何も知らない無垢だったときは、僕は自分の異常をこれっぽっちも感じはしなかった。転んだら起き上がるのが大変なことも、トイレに行ったあとは使い捨てのキッチンペーパーがかけられた小さな物干しのようなものに跨って股ぐらを綺麗にするのも、そういうものだと思っていた。食事は皿に直接口をつけることも、器からじゅるじゅると水を吸い上げることも、そういうものだと思っていた。
 だから、僕は幸せだった。生きるのは大変で、病による苦痛を持つ人もいれば、そこにある世界を見ることが出来ない人もいる。僕にとってはそれが着替えや排泄のときであったというだけの話。
 だけど、物心がつくと僕自身の異常を知ってしまうことになる。
 幼いみんなが、大人になったら生えるはずの腕を2つ持っていた。大きくなれば生えてくるよという話が嘘だと知ったのは、同年代の彼らの無垢なる残虐さによるせいだ。
 皆が楽しそうに遊ぶことは僕には出来ない。手がなければ、ほとんどの娯楽は受けられないのだ。僕はふさぎ込み、ときに暴れまわり、喚き散らし、世界を呪いながら生きてきた。
 だってそうだろう、皆が受けている恩恵に、僕一人だけ預かれないなんて、受け入れられるはずがないだろう。君以外はみな遊んで暮らせるほどのお金を支給されているのに、君だけが辛い労働をしてやっとわずかばかりのお金がもらえる、そんな状況ではい受け入れますと言えるのかい?
 僕の心は壊れてはツギハギされ、ある一瞬だけ、かちりとすべての砕け散った心が揃ったときだけ、こうして話をすることができる。そうでない間? 知らないよ。施設の人に聞いてくれ。このガラガラ声と手首足首のあざから想像できるんじゃないかね。僕は不公平さに耐えられなくてきっと喚いているのさ。その間はまた僕の心は粉々になって、会話も出来ない意識もない状態に逆戻りというわけさ。それが僕の日常。こうして話ができる間が非日常なんだよ。
 ねえ、君、そうやってメモを取っているのはどんな気分? こうして腕がない僕を見ながら、そうやって優越感に浸っているのは、どんな気分? 僕が望んでも望んでも手に入らないものを、無条件に手に入れられたのはどんな気分? 他人の不幸を記録して何が楽しいんだい? そうやって、お前らは、お前らは、よこせよ! それは俺にあったはずのものだろ! その手を! よこせ! ああ、があっ、やめろ! なんで抑えるんだよ! そいつの腕を千切って俺につけろ! お前ばっかり不公平なんだよ! ふざけるな! てめぇ! その手は俺のもんだろ! よこせよ! なあ!

オレンジジュース

 濁った液体が怖い、そんなことを思ったことはないだろうか。
 汚水で満たされ中を覗けない水槽。水の流れの悪くなった排水口。ベタつく液体で覆われたビニール袋。
 その中に何があるのかがわからないから、いやわかってしまうからそれは嫌悪という恐怖感を放つ。
 濁った水槽の中では死んだ魚が腐っているのだろう。排水口には悪臭の原因の体毛が粘つくヘドロと一体化して堆積しているのだろう。ベタつくビニール袋には腐ってカビの胞子で覆われた食材があるのだろう。
 想像しなければ何も思わずにいられるのかもしれない。しかし人には知恵で自然界を生き抜くために、太古の昔に得た想像力と好奇心を受け継いでしまっている。その中に何があるのかを見ることなく理解してしまっている。
 牛乳の中に、味噌汁の中に、腐った芋虫の死体が入っていないとなぜ確信できる? 貴方が目を離したわずか数秒に、偶然に偶然が重なって腐りかけた死骸が投入されないとは限らない。
 コップ、あるいは椀に口をつけ、その口元に何かが当たる。なんだろうと思いつつもそれをもう一口飲んだとき、口の中に苦く生臭い匂いが広がる。残り少なくなった液体からは、頭が割れて緑の脳漿を染み出させる腐った芋虫がゆらゆらと揺れている。生命の停止したそれはただの物体として存在し、もはやその存在価値は貴方に不快感を与えることでしかない。割れた頭部からはよく見れば細いウジがゆっくりと飲み物の中へと泳ぎでてきているのが見える。たとえ部屋が汚かろうと、それでもこのような物体を口に入れることと比べればクリーンルームも同然だろう。それは不浄の塊でしかない。 今もほら、手元の飲み物から目を離している。本当に中に何も入っていない? 大丈夫だろうと高をくくって口をつけてからではもう遅い。ちゃんと入っていないか、確かめただろうか? 水面の揺れが少しおかしくはなかっただろうか? コップの底に沈む黒い甲虫の、細い密集した足は見えただろうか?

 少し話を変えよう。貴方は今日、帰宅したとき、どうしただろうか。
 残暑の厳しい、周囲を終わりゆく夏が断末魔を上げながら狂騒する夜、熱気と湿気がコンクリートを割る若葉のようにひたすら不快感を押し上げようとする。
 ともかく酷暑の終わりには台風の湿気と生ぬるい風が重なるせいで、形容し難い不快さだけがその場にある。こんな日は家に帰って冷たいものでも流し込もうと思うだろう。
 さて、貴方は家に帰ると、靴をそろえるのももどかしく、背筋の汗の感触に気分を悪くしながら冷蔵庫を開ける。少しの冷気が流れ出て体を締め付ける熱気を和らげ、そしてその扉の向こうにはオレンジジュースがあった。貴方はそれを手に取り、グラスに注いで飲み干すことだろう。
 爽やかな甘味と酸味、そして冷えた液体が喉を伝う感触、それらが貴方を癒やす。喉を何かの塊が通り過ぎたような気がしても、それがなんだったのか知ることもなく。

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